分断
人間は悲しいくらいに違ういうこと。
同時に、せつないくらい同じと言うこと。
同じ身体、思考の仕組みを持っているのに
言葉が違えばただ記号を投げ合うことしかできないこと。
ある日突然失明して、白杖を伴侶とすることになった人を
まるで違う生物を見るような目で見るとしても
彼らの世界の盲さを知ることはできなくでも
同じ人間であるということ。
違いは確かに存在して、しかもはっきりとした形で
違うということは誰にでもできる。
ではどこから違うのか?
ある人が徐々に視力を失うとき
どこからが「盲目」なのか。
はっきりしない境界線に、はっきりと区切られている。
ひとはいとも簡単に区切られるし、いとも簡単にまとめられる。
なぜひとを理解できないのか――他人は悲しいくらいに違うから。
なぜひとを理解できると思うのか――他人はせつないくらいに同じだから。
ひとを理解するということは
見えない透明な壁越しに叫ぶようなこと。
永遠にたどり着けない真理。
同じであることと、違うことは
現実に存在する虚構。
フランス語がわからない私には
フランス語と火星語は大差ない。
けれど、サン=テグシュペリの言葉を美しいと感じる心は
わたしもフランス人も同じ。
記号はひとを高度につなげることができる。
同じ記号体系の中に生きる人はかなり複雑な言い争いができる。
記号は同じくらい高度に人を分断する。
そう、ひとは記号に分断されるのであって
ひとがひとを分断するのではないのだと
もし忘れなければ
あの矛盾する問いにも耐えられる気がする。
人が悲しいくらい違って、せつないくらい同じなのは
当たり前なことか、不可解なことかという問いに。